2010/01/18 狩野一門の牙城へ-金毛閣(きんもうかく)天井画

天正17年(1589)51歳
 40代の等伯の京都での活動がどんなものであったか、ほとんどわかっていません。「等伯」の名が最初にあらわれるのは、京都の名刹、大徳寺です。大徳寺では室町時代以来、狩野一族の多くの絵師が障壁画を制作しており、まさに狩野一門の牙城でした。
 天正17年(1589)等伯51歳のとき、豊臣秀吉の茶頭・千利休は、大徳寺三門の増築部分を寄進します。その金毛閣二階の天井と柱に等伯は筆を揮ったのです。京都画壇に高らかに等伯の名を知らしめる第一歩でした。
 

■展覧会ホームページ →http://www.tohaku400th.jp/

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